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After 3.11



震災から1ヶ月半が経った仙台・宮城野区。
津波被害が甚大だった沿岸部、蒲生や岡田地区の民家の瓦礫撤去や泥かき、
家具の運び出しなどを手伝ってきた。

出発前、被災地に行くことに対してまったく躊躇が無かった。
足もあり、衣食住を自己完結できる環境にいる自分が行かない理由が、逆に無かった。
女性でもいいから、たった1日でもいいから人手が多く必要だという声が
リアルに届いていたから。

でも、実際に現地を目の当たりにしてしまうと、そんな都合のいい自分の理由なんて
ほんと、ちっぽけなものだということが一瞬にしてわかってしまった。
ほんとうに、そんなことどうでもいいぐらいな凄惨な光景が延々と続いていた。

テレビで見る”切り取られた映像”ではない、一面の地獄絵図。
何がどうなったらそうなるのかというぐらいにメチャクチャな壊滅状態。惨くて、酷い。
至るところに散乱した瓦礫。至るところがヘドロをかぶった痕跡を遺す。
川に浮かぶ潰れた家・・・ へし折られた太い松の木、曲がった電信柱、
1Fの構造体だけしか残っていない工場、田んぼに突き刺さっている無数の車、バス、
船、電車・・・ 同じ場所にあるはずのないものたちが、石ころみたいにあちこちに転がっている。
信じられないほどの津波の威力に唖然としてしまって言葉が出なかった。
仙台港あたりでは、もっともの凄い光景が広がっている。あり得ない。。。ほんとうに。
とても写真に残そうという気にはなれず、1枚も撮影していない。

そして、津波に飲み込まれたエリアと免れたエリアの、不思議な境界線・・・
景色がガラリと変わってしまうその境目とは、一体なんなのだろう。 
明暗を分けたそのラインとは、一体なんなのだろう。

そんなことを、ずっとずっと考えていた。


私の背丈なんてはるかに超えたところに津波到達ラインが残る家々に向かった。
すぐまわりの広大な田んぼでは、まだ警察と自衛隊によって遺体捜索が続行されている地区。
水道だけはかろうじて復旧しているが、ガスも電気も当然無い。ほとんどなにも無い。
状況が酷いので、1日1軒のヘドロ出しもままならない、終わらないボランティア活動。
それでも毎日毎日、同じグループになった10数人と、黙々と作業をこなす。
あたり一帯に塵埃が舞い上がり、ヘドロの悪臭漂うなかで。

リーダーを務める地元の大学生やボランティアセンターのスタッフたちは
比較的年齢層が若いからか、とても明るい雰囲気を創りだしていて、
毎日懸命に頑張っている姿には、本当に頭が下がる。
中には、自らも被災して避難所から通っている人たちもいるだろう。
それでも、この状況をなんとかしてやる!という強く明るいエネルギーに
充ち溢れていたように思う。素晴らしい対応に、心を打たれた。


一方、作業を依頼してくる個人宅には、高齢者の住む家が多い。
避難所で生活しながら、最近昼間は家の片づけのために帰宅する日々だという。

1軒目の家のおじいちゃん。
みんなの作業をじっと見つめる傍ら、ふとした瞬間に茫然と一点を見つめ、空を仰いだ。
「もう、何もかも諦めたよ・・・」 そう言って、力なく笑っていた。

2軒目の農家のおじいちゃん。
農耕機具がすべて海水に浸かり、車が作業場に突っ込み、
ありとあらゆるものが流されたという。
「無事だったのは家の2F部分だけ。こんな中途半端に残るくらいなら、
いっそのことすべて失くなってくれたほうがよかった。死んでしまっていたほうがよかったよ。」
返す言葉が見つからず、咄嗟に、「そんなこと言っちゃダメだよ。」と言うしかなかった。
「この歳になってゼロからやり直すのは酷だよ・・・」と、
ため息をついていたおじいちゃんの悲しい声が忘れられない。

3軒目の家のおじいちゃんも、まだまだ茫然としていて、
現実を受け入れることができていないようだった。


今回の震災は、状況が酷く、被災エリア面積が広すぎることや、
地域によって被害の程度が異なること、被災者の方々の状況が様々で、
必要とされる事や物がバラバラであることなどが復興の難しさにつながっているのだと思う。
そして、すぐに動かなければならない支援と、継続することが大切な支援、
その双方が求められている。

少なくとも、私が接した地元の方々にとって、「復興」という文字は現実的なものではない。
遠くから、私たちが、日本全体が、世界が贈る、「がんばろう」という言葉は、
残念ながらまだ彼らには届いていない。それを受け取る余裕が無い。
今はまだ、気持ちを整理することに精いっぱいで、目の前のことに精いっぱいで
先のことが考えられない状況なのだ。
「これ以上、何をどう頑張ればいいのだろうか・・・」 そんな声が聞こえてきてしまった。

2軒目のおじいちゃん。それでも最後は笑ってくれた。
「夏になったら海水浴に遊びにきんさい。それまでにきれいにしておくから。
その時はうちに泊まればいいよ。」


「迷惑ボランティア」という言葉が勝手に独り歩きをしてしまったり、
自分には何ができるのか、行ってもなにも役に立たないんじゃないかと考えすぎてしまって
志がありながら行動を躊躇している人たちがいっぱいいるのではないだろうか。

ボランティアとは、本来は自発的なもの。
組織や行政を通さずとも、社会のルールの範囲内であれば、
気持ちがあれば個人的にでもできる。
その個々の気持ちが、ひとつのムーブメントにつながってゆく。
せーの!でやらずとも、すぐに動くことが求められる支援が、まだまだ必要。
依頼したくても遠慮して依頼できていない被災者たちもいるという。
こちらから歩み寄ってボランティアワークを提供するということも、
場合によってはやってもいいと思う。

人手が、まだまだ、足りない現状。
季節が進み、泥が乾燥してしまう前に、できる限りのことをしなければ。
理由はなんでもいい。自分にできる”何か”を模索している人がいるならば、
少しでも気持ちがあれば、躊躇せずに、その、できる”何か”に向かっていって欲しいと思う。

私もまた、東北に行くつもりでいる。
微力ではあっても、無力ではないと信じているから。


今回連れて行ってくれた、コワモテだけど実は心優しきガテン系アニキたち、Thanks!



ところで、世界から集められているであろう義援金は、どこにいってしまったのだろうか。
配分決定に難航しているとの話もあるが。
阪神大震災の時のこともあり、いろいろ調べた結果、
自分の募金がきちんと被災者の手元に渡るところまで透明性をもってサポートしてくれる
団体にしか私はあえて募金をしなかったのだが、
今すぐに必要としている人達にまで、なんらかの形ですべての義援金が
公正に早急に届けられることを切に願っている。



そして、

「前よりいい町にしてやる。」
「心まで壊されてたまるか。」
「もうふざけんじゃねえぞ。」 ・・・

胸をグっと掴まれる力強い言葉が写真とともに並ぶ、「復興の狼煙」ポスター・プロジェクト


素晴らしいと思う。

できる人が、できることを。

見舞いという言葉から救われることは何もないかもしれないけれど
私たちは私たちにできるそれぞれの小さな意思と行動を示していくしかない。

あの日以来、私たちは、それぞれが考えていることや思うことを言葉にする、表情に出す、、、
そんな久しく忘れていたことを思い出したのかもしれない。
それがもしかしたら、本当の復興なのかもしれないとも思う。
いつも話さなかった人と話したり、意外な人の素敵な言葉に出会ったりしている。
知らない人同士が、優しい言葉を掛け合っている。
みんなが優しい気持ちを表にだしていると思う。
それ自体、素晴らしいこと。


若い人たちだけでなく、お年寄りまでみんながひとつの明るい未来に向かっていけますように。

そして、いつの日か、日本が何の不安もない未来を取り戻すことができますように。

by yuru-life | 2011-04-28 22:27 | Life  

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